楽しかったこと(長文)

昨日はありとあらゆる好きな人と会ったり連絡を取ったりして、豊かな一日だったしさまざまな気づきがあった。
三軒茶屋に住んでいる好きな先輩の家に行き、一緒に刺繍(わたしの趣味)をするという会を開いた。
家に行く前に連れて行ってくれた餃子屋さんは入り口のガラスに貼ってあるラミネートされた値段表の少し汚れた感じが(この店はおいしいんだろうな)と期待させてくれる感じで、店に入って空気を吸った瞬間に(この店は絶対においしい!)と確信した。
水餃子一人前と焼き餃子三人前ときゅうりを頼んで二人で食べたらお腹が適度にふくれて、(白米なしでも餃子いける)という気づきがあった。
食べながら話が盛り上がり、話の盛り上がりの隙間で餃子を口に入れるとおいしくて、でも話が盛り上がると餃子は冷めてしまう。
おいしいものと楽しい会話はどちらも口を動かさなきゃいけないし、味をかみしめるのは自分の感覚と向き合う行為で会話は相手と感覚を共有するので、親和性が高いように見えて微妙なところだと感じた。
あまりにおいしくて楽しかったので、餃子の乗っていた皿とか、水餃子の入っていた器に残る水とかのことまで二人でほめた。
皿も皿として製造されてから今まで、こんなにほめられたのは初めてだったと思うので皿に人格があったら照れていたと思うし、戸棚で(今日はいい日だったし生まれてきてよかった)と思うと思う。
好きなものをほめるのはいいことだし、ほめられて嫌な気分の人はいないからこれからも思ったことは伝えていきたい。
先輩も先輩の旦那さんも、砂糖は体に悪いからとらないとか携帯を持たない日を作るとか持ち物をすごく減らすとか、いい生活を送るためのやり方を自分で選択して取り入れていく感じの人生を送っていて尊敬している。
でも家の近くのマンションに新井浩文が住んでてそこで捕まったらしいとか、徳井も住んでるらしいとか、そういう話をしてくれる俗っぽい一面もちゃんとある。
先輩の家はとても素敵な家で、何もかもがおしゃれだった。
そこでわたしの妹の結婚式で使う刺繍を二人でやった。
刺繍は難しいと思われがちだけど本当はすごく簡単で、手を動かしているうちにゾーンに入っていく感じが楽しいし、完成させるという達成感も得られる。
寿司(先輩の好物)の刺繍をしたいと言っていたので、寿司を食べる猫(猫好きの先輩)もできるし、猫が食べてはいけない食べ物とかも刺繍なら食べさせられるし、先輩の好きな火の鳥手塚治虫)に猫が乗っている状況も刺繍できる、刺繍は無限の可能性がある。
妹の結婚式の刺繍(テーブルナンバーに使うのにアルファベット16個作らなきゃいけない)は大変だから、わたしのラインのQRコードなども刺繍して、出会いの可能性を高めていこうなどのしょうもない話をした。
部屋で流れていた先輩が最近はまっているというブリグリは、手を動かしながら会話するのに合うメロディーと歌声だった。
今度刺繍をする共通の知り合いも誘ってまたやろうという話になっていて、その人は「YouTubeの焚き火の動画(その人はその動画が好き)を見ながら刺繍したい」と言っていたけど、焚き火の動画を見ながら刺繍することは物理的に不可能だと気づいた。
とても楽しかった。
その後は、会社の辞めた人と辞めてない人で集まって不思議なことを話す「不思議なことを話す会」という小さい送別会(みたいなもの)が行われた。
地球のこととか宇宙のこととか歴史のこととか小さい頃に見た夢のことを話していて、わたしは宇宙のこととかもよく知らなかったので(宇宙すごい…)と思って怖くなった。
他の星には何かの生命体があって、でもわたしが思うイカみたいなやつとかじゃなくて、生きているという状態もそもそも地球人が思う感じじゃなかったり、アメーバみたいなやつかもしれないらしく、一人の人がしきりに「火の鳥読んで!」と言っていて、昼間の予定と火の鳥でつながってる…!となった。
不思議なメンバーだったけど盛り上がってとても楽しくて、帰り道にライングループにみんなが「今日は楽しかったです!」って送ってたのが、本当に楽しかったよね!って思えたのでよかった。
これからもできるだけ明るくいたいし、人と会話するのは生きてるなかで一番楽しいなと思った。
一人でいる時も元気なほうがいいので、部屋を片づけて掃除をして、火の鳥を読んで規則正しい生活を送ろうと思う。
こういうことを考えると、死亡フラグか…?と思ってしまう。
余計なことを考えそうになったら刺繍をしたい。