直面していない悲しみを自分の切実な辛さに変換する力

直面していない悲しみを自分の切実な辛さに変換する力がある。
なんでだろう。嫌だな。
同じくらい、しょうもない妄想をする力もある。

~今日、出かけた先の道の駅での妄想~
働いているビルの管理室にいるイケメン(誰が見てもかわいい顔してると認めるような顔)とドライブデートすることになり(経緯は割愛)、道の駅へ。
ちなみに、「ドライブデートで道の駅に寄る」ということは、お互いの庶民的な感覚が一致しているということ、一大テーマパークではないような場所でも笑い合える関係になりそうな予感を示唆している。

イケメン「これ、おそろいで買いませんか?(なんかでかくてシブい、いい音が鳴る鐘のキーホルダー)」
わたし「えー!…でも、意外といいかも」
イケメン「買っちゃいましょう」
わたし「ふふ、いいですね(チャラそうに見えるけど、意外と古風なんだ…)」

後日、職場で…
わたし「おはようございまーす(あ、今日はイケメンさん出勤なんだ)」
イケメン「あっ!(鞄から何かを探す)」
わたし「?」
イケメン「ニコッ!ゴーン…(嬉しそうな笑顔で取り出したおそろいの鐘を鳴らす)」
周り「!?なんだこの音!?」
わたし「…もーっ!(そそくさと逃げるがまんざらでもない)」
~こうしてふたりの毎日は続く…~

ということを考えていた。

これと同じ調子で、暗いことや、身近な人の悲しみを思ってしまうと辛い。
悲しい。気が狂いそうになる。
また、わたしの妄想は色恋沙汰一辺倒ではなく、深夜ラジオ好きの同僚とラジオの話をしていたら、通りがかった弊社社長が常連のハガキ職人であることを告白してきて一生の忠誠を誓う、また、素人向けドッキリ番組の仕掛人として弊社休憩室の様子を盗み見していた伊集院光が、わたしと同僚の伊集院のラジオへの愛を語っているさまに直面、仕掛け人のはずがリスナーの愛に触れ、深夜ラジオへの思いを一層強めることとなった、等がある。
上記の妄想で嫌な気分になるのはイケメンだけだし言わなきゃいいけど、暗い妄想や感情は自分を直撃する。
心が弱い人々はどうしてるんだろう。
宗教、マルチ商法などに傾倒するしかないのだろうか、と思うけど、それはわたしの救いではないことはわかる程度の理性と自分への理解がある。
そんな自分が好きだけど、辛い。
もうめちゃくちゃ辛いから、筋トレとか腸内環境を整えるとかをするしかない。
筋トレにハマっている人も宗教やら何やらにハマっている人と同質のイカれ方をしている気がするけど、「ウザい」以外の軽蔑のされ方はしないからいいなと思う。
第二の脳と言われる腸の環境を整えて、心を前向きにしたい。
起こっていない嫌なこととか予想の辛いこととかでがんじがらめになるのはやめたい。