脈絡のないことをわめき散らした後、万引き家族の感想を少し言って終わるブログ

暗い気持ちの30代の夜は15の夜の5倍くらい盗んだバイクで走り出したくなる。
15歳にしかない苦しみもあるかもしれないけど30代にしかない苦しみもあり、校舎の窓ガラス割り選手権があったら(衝動的に窓ガラスを割る枚数を競う)30代、一見清楚に見える女性(女子アナ系)などもなかなかの記録を叩き出すと思う。
子供達にはそういう狂気じみた様子を見せて、でもそういうお姉さんも会社では一生懸命働いて手早くExcelで表を作ったりもしている、というさまを見せたい。
一見清楚に見えるガラス割りが得意な30代女性が面白がって多感な中学生男子の童貞を奪ってくれる可能性は決して低くはないと思うので(中学生男子は棚ボタとしてそれを受け入れるという設定で、非セクハラということでお願いします)、30代女性の鬱憤を晴らす意味でも中学生男子が想像していなかったおいしい現実に打ちのめされるという意味でも、開催が待たれる。
中学生男子の通う中学の教頭先生もダークホースとしてかなり期待できる。
物凄いスピードで窓ガラスを割っていく謎の男のシルエット。
ダントツの優勝で、表彰台に上がって光に照らされた顔はなんとあの教頭先生だった…
というような。
わたしは自分だけが辛いと思って辛いと辛いので、周りもそうなんだと思うと気が楽になる。
そして、辛そうな人を見ると辛いので、社会とうまくやっていけなくて辛い人には「ほら、こんなにダメな実績があるわたしものんきにのうのうと生きてますよ!」ということを示して(俺もダメだけどこいつもダメだ!)と元気になって欲しいと思う。
でも、世の中には「俺の実力はこんなもんじゃねぇ」ということで落ち込む人もいるらしく、そういう人は「高井さんはそりゃダメな人間だからそうだろうけど、俺は違うのにこうなのはおかしい」みたいなギャップに苦しむらしい。
へぇ…としか言いようがない。
もっと屁理屈で自分の世界を歪めて、自分を正当化していったほうがいいし、そうしたい。
孤独が生んだ事件を見ると、「みんなが、優しくできる人には偽善でも何でも優しくする」しか解決方法はねぇ、逆に全員が毎日嘘でも半径一メートル以内の人のなかで優しくできる相手にだけでも優しくしてれば解決する、という気がする。
誰からも優しくしてあげたいと思われない人は、夜回り先生的な人に任す。
憎しみとか怒りとか特別な感情を持っている相手には思い入れはあっても優しくできなかったりするけど、どうでもいい人に対して、聖母のように優しくすることはできるかもしれない。
そのどうでもいい人はわたしの気まぐれなうわべだけの優しさに救われ、生きる希望とするかもしれない。
それは偽善であっても悪ではないし、そこから愛情が生まれることもある。
家族というのは血が繋がっていれば「家族」だけど、嘘の優しさから始まったものが家族らしいかたちをつくっていくこともある。
家族という言葉の意味とはなんなんだろう。
万引き家族はそんな感じの映画だったと思います。
家族にまでならなくても、なんかちょっと優しくされたなということがあればみんな結構瞬間瞬間で救われると思うので、そうしていきたいなと思います。
でも特定の嫌いな人のことは一生大嫌い。