子育て中の方へ…

人は親になると子供の時の気持ちを忘れがちなんだなって思うから、親世代、現子供の立場として色々伝えていきたい。

小さい頃に料理が得意なお母さんに作ってもらったおしゃれなカレー(手間暇かかっていてとてもおいしい)、よさが理解できなくて「うちもルーを溶かしただけのカレーがいい!」と泣きついていた。

特別な日に出た、鶏肉をオレンジで煮込んだやつ、わけわかんなかったけど今は食べたい。

たまごかけごはん、納豆かけごはんは間違いなくおいしい(大人も)。
コーンポタージュ、かぼちゃのスープは特別感がありつつ子供にも理解ができる味だと思うのでおすすめ。

家の中(もしくはベランダ)でビニールシートを敷いてお弁当を食べるのすごく楽しかった。

人と比べられると幼少期でも辛い。
何故かわっぱ飯のよさは理解できていた。

プリクラ撮っちゃダメ!(細かい制限)と言われると友達付き合いがうまくいかなくて辛かった。

何故か「はぐれ刑事純情派」の視聴だけ許されていた社員住宅で川の字のかたちで寝ていた貧乏な環境、いい思い出。

衝撃的なことが書いてあるブログ

台風クラブというバンド、スカートの澤部さん(好き)がそのバンドについて話していたので聴いてみたらとてもよかったから何回も聴いた。
もう歌えると思うので、聴きたい人は言ってください。

台風が来ている。
今現在、物凄くビュービュー言っているのに、まだ関東には上陸していないらしい。
会社の出勤停止が期待される。
わたしは昼の一時出勤だからきっと関係ないけど。
今回の台風が、わたし達遅番のことを考慮して、関東上空(特に、練馬~目黒間)でうろうろしていてほしい。
でも家が吹き飛んだらどうしよう。
家がきれいに吹き飛んで、住んでいるマンションのみんなでハワイに行けたらいいのにな…と思うけど、家は形状を保ったまま吹き飛ばされる仕組みになっていないこともわかるから夢が持てない。
何も知らないまま大人になってしまったなと思うけど、ただ生きているだけで色んなことを学んでいる。
と書いていたら、家がかなり揺れている。
怖い。台風の威力わからない。
もしかしたら折れるんじゃ…?
このあいだ渋谷に行った時に見た新しい高いビルは全面ガラス張りで、もろそうだった。
渋谷のいい場所にできたおしゃれビルに勤務する絶好調な人達、今頃(うちのビル大丈夫かな…でもすごい台風と言っても台風だしね…)と少しヒヤヒヤしたりしているんだろうか。
あとガラス張りのタワーマンションに住んでる人も怖いな…と思ったりしてるかもしれない。
「三匹のこぶた」では藁などのもろい材料で家を建てていたぶたがひどい目にあっていたけど、あれが「四匹のこぶた」だったとして、四匹目がガラスで家を建てていたらバカにされそうだな。
でも今となってはガラス張りの建物なんて普通だから、「四匹のこぶた」の伝えたいテーマは「常識を越えろ。先駆者になれ」ということだろうな。
会社の人が、「メモの魔力」を読んだ感想として「難しかったけど、メモが大事だということがわかった」と、読まなくてもおそらくそういったことが書いてあるんだろうなとわかることを書いていて面白かった。
あと、「イラストの描き方」みたいな本を読んだ感想として「理屈はわかったけど書けません」と書いてる人がいて面白い、と教えてくれた会社の人がいて、面白かったし、そこに注目して面白いって思う感覚が好きで、そんな人がいる弊社が嬉しかった。
ビジネス書はタイトルで内容がわかるけど、物語はタイトルだけじゃ内容が予想できない。
「百万回生きたねこ」を読んだことがなかったけど、作者の佐野洋子さんのエッセイが面白かったので読んだらかなり感動的だった。
ずっと「百万回生きたねこ」が出てくるんだろうなと思っててその予想は当たったけど、佐野洋子さんがねこを百万回生きさせたことにはとても意味があった。
佐野洋子さんすごい。

これからパーティーを主催する人に知ってほしいこと

明日、勤め先(わたしが生きていくためのお金を毎月銀行口座に振り込んでくれている。パパ活と言っても過言ではない)のめでたい催しがおこなわれる。
多分ピンチョスとか、ローストビーフとかが出る。
もしかしたらその場で揚げる天ぷらとかも出る可能性もある。
そんなレベルのちゃんとした会場でおこなわれる(お色直し二回の結婚式並み)のに、総務の人から周知されたドレスコードが「自由でOKです!(でもちょっとおしゃれしてくると楽しいかも?)」 みたいな感じだった。
総務の業務としては最悪だと思う。
社員同士で(みんなどれくらい気合いを入れて来るんだ…?)という探り合いみたいになっているので、それなら「とってもおめでたい一日です!とびきりのおしゃれをしてきてくださいね!」とか言われたほうが気分が上がるし、誰かがめちゃくちゃ張り切っていても「おしゃれだなあ」って思うし、張り切ってない人を見たら「そういうポリシーなんだな」と思えていい。
世の中のパーティー主催者達はみんな、そういう参加者の気持ちを察してほしい。
「好きにすればいいじゃん!」と言って日本人のもじもじ気質をバカにする傾向もあるけど、何年も日本で生きてきて、そういう善良な市民のもじもじさを考慮できないのはよくないと思う。
みたいなことを考えていたら、TSUTAYAで借りていた漫画、返し忘れて延滞していることに気づいた。
ので、眠くないし、今、返しに行こう!と思ってスカート(好き)の弾き語りのラジオを聴きながら夜の涼しくなった街を歩いていたら気持ちよかった。
練馬駅眠らない街みたいに明るかったし、練馬駅はマリネ液(アジの南蛮漬けとかに使うやつ)と同じ文字で構成されている!と気づいた。
わたしは自分のお父さんに定年退職したら夜になったらちゃんと寝る生活を送ってほしいと思ってるけど、夜中の武蔵大学の守衛してる人は、おじいさん同士で何かを話していて楽しそうだった。
わたしのお母さんは冷蔵庫をちゃんと閉めないお父さんと暮らしていて辛そう。
最近、再放送のドラマで天海祐希を見て(人智を越えたきれいさだな…)と思ったので、そんな人をサザエさんに抜擢する人はセンスがないな…と思った。
サザエさんはもっとしみったれていてほしい。

昨日のさんま御殿を見て思ったこと

昨日のさんま御殿のうめざわとみおは最悪だった。
わたしは踊るさんま御殿を毎週録画して見ている。
女性芸人を集めて「醜女(しこめ)軍団」と呼んだり、妙齢の女性には絶対に「結婚はまだなのか」と聞いたり、なんか怒られたりしそうなことをしてるけど大丈夫なのかな…と思うけど、面白俳優のおとぼけキャラなのか~と思ったり、女芸人のあるあるネタ、芸人がウケてて嬉しそうなのとか青木さやかの哀愁が見れたり、滝沢カレンワールド全開(いつもCMの前、「この後も、滝沢カレンワールド全開」と言っている気がする)なのが面白いから見ている。
滝沢カレンの話を聞いている人の笑顔を見ると心から幸せになる。
滝沢カレンの!踊るさんま御殿になってほしい。
で、差別的だったりすることについて文句を言われたり自粛しない(最近醜女軍団って言わないな…やっぱりよくないってなったのかな…と思ったらまた言ってたりする)のは、さんま御殿を見ている人が社会から置いていかれている人達だからなのかもしれない…と思っていた。
または、何かに対する意見があまりなくて、何かを言われても、まあまあ…とやりすごすような人。
わたしも「醜女軍団ってひどいなあ」と思いながらたまにゲスト全員が輝きを見せる回を見て(楽しそうだなあ)と思ったりしていた。
でも、そんな時代に置いていかれているさんま御殿の視聴者から見ても昨日のうめざわとみおはひどすぎてあぜんとした。
大久保さんをブスだから本当はこんなやつとは食事には行きたくないと言ったり、俺の金で女房にいい生活させてやってんだ!ゆきぽよのケツを見ればどんなパンツを履いてるかわかる!などと言っていた。
ことなかれ主義のさんま御殿の視聴者を立ち上がらせるための刺客か、一通りうめざわとみおがわめいたのを見計らってコンプライアンスの人が捕まえに来るのか、良心を痛めていたさんま御殿の番組を作る人がカットだと言われていた場面を勝手に流したのかと思った。

スカートの新しいアルバムの感覚的な感想

スカートの曲を聴いていると、いつもスカートの曲を聴いている時の気持ちになる。
小さい頃に日曜日の午後、なにもすることがないし面白いテレビもやってなくて、一人で家でただぽつんといる時の空気に感じる感じ(退屈とは違う)。
悲しいとかそういう気持ちになる時は辛い時が多くて嫌だけど、スカートの曲を聴いていると、自分の中にある感情の中で、嬉しいとか楽しいとかそういう感情以外もこんなに情熱を帯びた美しいものだったんだなと思える。
社会で生きていると邪魔にもなるけど人間に必要だし絶対にある、自分の中の鈍くなった心の一部が刺激されて生き生きしてる感じ。
音楽のことは詳しくないけど、ところどころにきらきらとしたもの(シマダボーイさんのシャララ…っていうやつとか、佐藤優介さんのキーボードの音もきれいで好き)が散りばめられた絵みたいで好き。
初めてライブで見た時、最高だ!!!と思うと同時に、なんでこの人達は一緒にバンドやることになったんだろうと思って(かなり失礼)なんか全然違う人達って感じなのに一つの最高なことを成し遂げてる感じも大好き。
あと、聴いていて生まれるこの気持ちはなんだろう…と理解したくて歌詞カードの文字をなぞりながら聴いても言葉の意味をはっきり理解することはできなくて、でもちゃんと何かが感じられて、そういう感じも好き。
今、スカートの音楽が好きって思ってるのと同じ熱量で会社行きたくないって思ってるけど、人の気持ちなんて他人にはわからないから、実はみんなわたしよりずっと行きたくないと思ってるかもしれない。

楽しかったこと(長文)

昨日はありとあらゆる好きな人と会ったり連絡を取ったりして、豊かな一日だったしさまざまな気づきがあった。
三軒茶屋に住んでいる好きな先輩の家に行き、一緒に刺繍(わたしの趣味)をするという会を開いた。
家に行く前に連れて行ってくれた餃子屋さんは入り口のガラスに貼ってあるラミネートされた値段表の少し汚れた感じが(この店はおいしいんだろうな)と期待させてくれる感じで、店に入って空気を吸った瞬間に(この店は絶対においしい!)と確信した。
水餃子一人前と焼き餃子三人前ときゅうりを頼んで二人で食べたらお腹が適度にふくれて、(白米なしでも餃子いける)という気づきがあった。
食べながら話が盛り上がり、話の盛り上がりの隙間で餃子を口に入れるとおいしくて、でも話が盛り上がると餃子は冷めてしまう。
おいしいものと楽しい会話はどちらも口を動かさなきゃいけないし、味をかみしめるのは自分の感覚と向き合う行為で会話は相手と感覚を共有するので、親和性が高いように見えて微妙なところだと感じた。
あまりにおいしくて楽しかったので、餃子の乗っていた皿とか、水餃子の入っていた器に残る水とかのことまで二人でほめた。
皿も皿として製造されてから今まで、こんなにほめられたのは初めてだったと思うので皿に人格があったら照れていたと思うし、戸棚で(今日はいい日だったし生まれてきてよかった)と思うと思う。
好きなものをほめるのはいいことだし、ほめられて嫌な気分の人はいないからこれからも思ったことは伝えていきたい。
先輩も先輩の旦那さんも、砂糖は体に悪いからとらないとか携帯を持たない日を作るとか持ち物をすごく減らすとか、いい生活を送るためのやり方を自分で選択して取り入れていく感じの人生を送っていて尊敬している。
でも家の近くのマンションに新井浩文が住んでてそこで捕まったらしいとか、徳井も住んでるらしいとか、そういう話をしてくれる俗っぽい一面もちゃんとある。
先輩の家はとても素敵な家で、何もかもがおしゃれだった。
そこでわたしの妹の結婚式で使う刺繍を二人でやった。
刺繍は難しいと思われがちだけど本当はすごく簡単で、手を動かしているうちにゾーンに入っていく感じが楽しいし、完成させるという達成感も得られる。
寿司(先輩の好物)の刺繍をしたいと言っていたので、寿司を食べる猫(猫好きの先輩)もできるし、猫が食べてはいけない食べ物とかも刺繍なら食べさせられるし、先輩の好きな火の鳥手塚治虫)に猫が乗っている状況も刺繍できる、刺繍は無限の可能性がある。
妹の結婚式の刺繍(テーブルナンバーに使うのにアルファベット16個作らなきゃいけない)は大変だから、わたしのラインのQRコードなども刺繍して、出会いの可能性を高めていこうなどのしょうもない話をした。
部屋で流れていた先輩が最近はまっているというブリグリは、手を動かしながら会話するのに合うメロディーと歌声だった。
今度刺繍をする共通の知り合いも誘ってまたやろうという話になっていて、その人は「YouTubeの焚き火の動画(その人はその動画が好き)を見ながら刺繍したい」と言っていたけど、焚き火の動画を見ながら刺繍することは物理的に不可能だと気づいた。
とても楽しかった。
その後は、会社の辞めた人と辞めてない人で集まって不思議なことを話す「不思議なことを話す会」という小さい送別会(みたいなもの)が行われた。
地球のこととか宇宙のこととか歴史のこととか小さい頃に見た夢のことを話していて、わたしは宇宙のこととかもよく知らなかったので(宇宙すごい…)と思って怖くなった。
他の星には何かの生命体があって、でもわたしが思うイカみたいなやつとかじゃなくて、生きているという状態もそもそも地球人が思う感じじゃなかったり、アメーバみたいなやつかもしれないらしく、一人の人がしきりに「火の鳥読んで!」と言っていて、昼間の予定と火の鳥でつながってる…!となった。
不思議なメンバーだったけど盛り上がってとても楽しくて、帰り道にライングループにみんなが「今日は楽しかったです!」って送ってたのが、本当に楽しかったよね!って思えたのでよかった。
これからもできるだけ明るくいたいし、人と会話するのは生きてるなかで一番楽しいなと思った。
一人でいる時も元気なほうがいいので、部屋を片づけて掃除をして、火の鳥を読んで規則正しい生活を送ろうと思う。
こういうことを考えると、死亡フラグか…?と思ってしまう。
余計なことを考えそうになったら刺繍をしたい。

手紙

変な時間に目が覚めて眠れなくなって、すっごく遠くにある黒い物体にもやがかかってグレーになったものをぼんやりと眺めているみたいな気分になった。
嫌だなあと思ったので、今日買ったかわいいポストカードで友達に手紙を書いたら勢いがつき、最近話せてない会社の人にも手紙を書いたら(変わった行為)すっきりした。
そして心のもやも晴れ、そこに現れたのは「ぐっすり寝られなかったけど数時間後には仕事に行かなければならない、しかも本業の前に副業に行かなければいけないので時間がなく、副業で交流する人とはあまりコミュニケーションが取れなくてやりづらい、しかも締め切りがある系の仕事で今日が締め切り、明日は本業で有休を取っているから時間が取れるけど友達と遊ぶ予定なので副業には行きたくない」という、めちゃくちゃはっきりしていてアンニュイさゼロの新聞の投書みたいな憂鬱(極太のゴシック体)だった。
ヴァージンスーサイズ(淡い色調のきれいでせつない情景にいい音楽が流れる映画、ゆらゆらとゆれる思春期の美しい姉妹達を映していて、最終的に全員死ぬ)の世界に集団左遷福山雅治(銀行のみんなのために「とにかく頑張る」という方法で奮闘)が殴り込みに来たような気分になった。
ヴァージンスーサイズのなかで、13歳くらいの女の子が精神科医のカウンセリングを受けてる時に「先生は13歳の女の子になったことがないからわからないわ」とか言って先生は困る…みたいなシーンがあるんだけど、そのカウンセラーの役が西田敏行だったらあの映画の結末は変わっていたんじゃないだろうか…
そして「その立場になったことがないからわからない」っていうのは言ったもん勝ちで、13歳の女の子は寅さんシリーズとか、「学校」の田中邦衛を観たりしたら価値観が少しは変わって死ななかったんじゃないだろうか…
でも美しさは損なわれる。
ヴァージンスーサイズみたいな映画を撮ろうと思う人がいてそれが好きって思う人がいて、でもトイストーリー4みたいな映画を撮ろうと思う人がいて、それが好きって思う人もいるって考えると、マジで人間同士の交流無理ゲーだ…ってなる。
あと、トイストーリーは公開当初、3で終わりって言ってたと思う。
けどどこかで交差して、言葉とかが介さない感じのところで好きだなって思える人がいたりするのはよい。
会社で多様性について習ったけど、そんなもん言われる前から知ってるわ!ってなるし、完全に合致する人がいたらいいのになと思う。いないけど。
でも、なんとなく同じ世界で生きてるなと思える人がいると嬉しい。
そういえば、探偵ナイトスクープにも出ていたスリムクラブが無期限の活動休止になってしまって悲しい。
内間がお札をつないだものをネックレスみたいにして笑ってる写真を見て引いたけど、それが内間のすべてじゃないと思うって思える気持ちがある人間になりたいな…
あと仕事行きたくないな…