オカルト

世の中の人は本当にしょっちゅうスマートフォンを見ている。

わたしもそうだったけど、紛失したので物理的に見れなくなった。

数日でも使えなくなってみると、何故わたしは毎日犬山紙子のインスタグラムを見ていたのだろうか…と目が覚めたような気分になる。

電車で(みんなスマホを見ているな)と眺めていたら、大切そうにスマホを持ったまま寝ている人もいた。

「ことばはいらない」という犬と赤ちゃんの写真集(『いつも一緒にいる赤ちゃんと犬の日常の写真がたくさん、カワイイ)の写真集があるけど、そろそろ人間とスマホの写真集が出てもいい。

犬と赤ちゃんが「ことばはいらない」なら、スマホと人間は「いきているかどうかかんけいない」というタイトルで有機物と無機物の交流を記録して写真集にして欲しい。

これだけずっと一緒にいるスマホにまつわる歌や映画がないのもおかしい。

でも、人間に必要な空気や水にまつわる歌や映画もないからそういうものなのだろうか。

「失った時に気づいた大切なもの」について歌っている曲は、まだ気づいていない大切なものがあることに気づいていない間抜けだな。

大学生の頃、「ラブソングばかり再生していたi podが持ち主のことを好きになった」という小説を書いた。

大切にされていた市松人形に魂が宿って髪が伸びるなら、好きな人に連絡をしたり、悲しい時に音楽で励ましてくれたり、見知らぬ土地で迷って不安な時に道を教えてくれたり、楽しい時には写真を撮ったり、そんな人生のさまざまな瞬間を共にしたスマホは余裕で魂を持っているのではないかと思う。

「起きると枕元にはハードオフに売ったはずのExperiaがあったのです…」というタイプの怖い話があってもおかしくないけどない。

オカルト的な話だと無機物には魂が宿らないということになっているのだろうか…と思って「オカルト」で検索したら、「神秘的なこと。超自然的なさま。」と書いてあった。

解明できない怖い現象がオカルトなんだと思ったけど違って、不思議な神秘的な話は怖い話じゃないということがわかった。

しかも、捨てたはずのぬいぐるみが戻ってきたりハードオフに売ったはずのExperiaが戻ってくるのは、オカルト寄りだけど話の仕組みとしては忠犬ハチ公だと思う。

「死んだおばあちゃんが枕元に立っている話」を「怖い話」枠に入れていたけど雑だった。

UFOや心霊現象はオカルトで、死んだおばあちゃんが枕元に立っている話はオカルトだけど愛のあるいい話でもあり、トイレの花子さんやチャッキーはエンタメ系の怖い話。

死んだおばあちゃんが枕元に立っている話を怖い話寄りで考えてしまうとおばあちゃんに申し訳ない。

人間がカテゴリ分けしているものは全然うまく分類できてないまま定着しているような気がするので、同じ揚げもののようでもから揚げと竜田揚げとザンギと山賊焼きはちゃんと区別されているので料理はすごい。

人間が考えていることは同じ「怖い」でも少し違うから、山賊焼きも家庭によって調味料の割合が違うという感じかなと思った(でも全然違う)。

このように色んなことを整理して生きていき、そのうちその考えが世間に認められ有名になりお金持ちになった上に佐々木蔵之介と結婚、人生の一番の悩みが「病院の受付で『佐々木希さん』と呼ばれると周りの人がみんなこっちを見る」になりたい。