まとまりがなく、最後のほうどんどん雑になっていくブログ

タイトルの通りですが、文学フリマ(出れますように)に出すものを書く練習のために公開します。

 

人の体には血が巡っていて、内蔵されている内臓が動いたりして、あとは脳みそなども動いて、自分自身はなんの努力もしていないのに勝手に動いている摩訶不思議な仕組みの中に魂が宿って1人の人間として完成している。右手を動かそうとしたら右手が動いて、まばたきしようとしたらまぶたが動くの、そういうものだと思ったらそうだけど、なんでそうなるの?と考え出したら気持ちが悪い。生きれば生きるほど老いていく皮膚にこまめにクリームを塗って保湿したりするのも、何も考えずにやってるけど、すごく気味が悪いことのように感じる(やるけど)。幽霊は怖いけど、そもそも生きている時からこんなに不思議な人間が、死んだ後にどうなろうと生きて普通に存在している時の不思議さを超えることは不可能なので何も怖くない。

杉作J太郎さんが「近頃は時代の変化が急すぎて、それについていけない人が大変な思いをする」と言っていた。時代についていけない人を妙に肯定したり否定するような感じではなくて、少し前に当たり前だったことが今は「なし」になっていて、それに気づけない人が悪いというには時代の変化が早すぎる、というような言い方だった。それを言うと、大昔に決まった概念は大昔に決まったままずっと固定で、たとえば好きな人ができたら相手も同じくらい自分のことを好きになってくれることが恋愛感情の終着点で成功だということとか、それを「うまくいった」と言うけど、果たしてそれは本当にそうなのか?とか考えてるときりがないほど何もかも正しいと思えない。大昔に決まったということはそれが正しいという根拠にならないけど、それはゆるがぬ真実、みたいになっているのは不思議なことだと思う。女性に嫌なことを言ったら白い目で見られるようになったかもしれないけど、まだ「なし」になっていない嫌なことを男性に言う女性もいるし(わたしも言っちゃうし)、何かのカテゴリーに分類される人が楽になったり生きやすくなる世の中になったからと言って、全部がよくなっていっているということでは全くないなと思う。でも人間同士が交流するにはある程度、物事の認識が通じていることが必要だから、全員が好きなことを好きなように解釈していては成り立たない。

他の生物が人間を見て「すごいなあ」と思うところは、丈夫で大きな建物を建ててそれに「パルコ」みたいな名前をつけて人を集めたり、それを見た誰かが真似して「こちらもできました。ヒカリエです」とか言って、「それぞれ違うお店が入ってていいね」と言い合ったりできる、おいしいいちごを栽培できる、とかというようなところがすごいねってなってほしい。