じいさんの路上酒盛りカルチャー/最近の感じ

わたしが住む地域(練馬区)ではじいさん達が集まって朝から駅前で酒盛りを楽しんでいる。出勤途中にその光景を見て「俺も絶対にあの人達みたいになるぞ!」と自分を鼓舞する人はいないだろうし、「あの人達を見習いましょうね」と子供に手本として見せる人もいないと思う。実際、じいさん達が使っていたベンチは権力を持った何者かにより撤去された。でもまだじいさん達は酒盛りをしている。じいさんの日中路上酒盛りカルチャーを葬り去りたい練馬区と、酒さえ買えればどこでもやれる、というじいさん達の心意気の攻防は続く。

わたしはいつもそのじいさん達がいいなと思って見ているけど、ちゃんとしたサングリアがあるような店に予約して行きたい、とも考えてしまう。何がやりたいのかわからないからブレている。

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差別とか偏見をなくして多様性を認めよう!と人種や性別や目立ったものについては厳しく取り沙汰す風潮の中で、顔の美醜とか頭髪のこととか松居一代の動画とか(名前出すのは失礼だけど、放送禁止用語は丁寧に取り扱うのにいつもの調子じゃない人の様子を面白がるテレビの感覚にうんざりした)、そういうのを笑う概念は残ったままで放置されてるのを見たりすると(なんなんだろうね)と思う。

ツイッターを見ていて、全然共感できないつぶやきに6万くらいのいいねがついていると(この世に気が合わない人がこれだけいるんだな)と思ってうんざりする。だけどいいねをした人達は全部同じ感情でそのツイートを見ているわけではなく6万種類の感情があるわけだから、別にその6万人と気が合わないわけではない。ということがわからなくなる。

誰かに伝えたくて何度も書き直したものもテキトーに書いたものも日常のことも大事なことも全部同じフォントで並列に並べられて、それを的確に適切なかたちで受け止める能力は人間にはない気がする。