家に吉沢亮がいると思い込む病気

道でスケボーに乗ってる人がいたので(クソ邪魔だな)と思ったけど、振り返った顔が北村匠海のようだったので(GO!)と思った。

中野ブロードウェイに行ったら、志磨遼平のような髪型(長髪)で、ワインレッドのてろっとしたシャツに黒のスキニー、それに昔ながらの茶色い便所サンダルを履いた長身細身の色白がいた。
お前は量産型だな、と思ったけどそういうベタなのがいいんだよ、とも思った。
上の発言は下品であるが、こういうことを思ってしまう。

人から頼んでいただいた刺繍があと少しで出来上がる。
刺繍糸の新しい色を買い足す必要があったので、起きたままの格好にビーチサンダルを履き、マスクをして自転車で池袋まで行った。
ほぼ完成に近づいた刺繍に売り物の糸を合てて見て(どの色がいいかな…)と真剣に選んでいる時、わたしのキテレツな風貌、それに対し正気でないと作れなさそうな手元の刺繍を合わせて見た他人が(変わり者の天才刺繍師なんだな)と思ってくれないかなと考えた。

相変わらず突然の不安に襲われる。
しかも、不安の種は他人から見たらバカバカしいとか杞憂だとか思われるようなこと(わたしが他人だったらそう思う)だったりする。
ノイローゼである。
不安になるのは大抵暇な時なので、心から、精神が落ち込んだ人は強制的に封筒を作らされる(内職をやらされる)世の中になって欲しい。
達成感もあっていいと思う。
政治家になってこの制度を広めたい。

心の病気が増えている昨今、心の異常をポジティブにとらえる風潮、それに流された民衆が都合のいい病気にかかっていく空気できることを願っている。
家に帰ると吉沢亮(美形)がいると思い込む病気ができて欲しい。
会話の端々に、この人は自分の家に吉沢亮がいると思っているのではないか?という様子が見られる以外は普通のいい人。
以前は仕事にも後ろ向きなところがあったけど、家に吉沢亮がいると思い込むようになってからはすこぶる調子がいい。
それって最高だなと思ったけど、「家に吉沢亮がいる」というのは自分の嘘だという自覚がある限り、心のなかに「やましい、むなしい」というマイナスな感情が芽生え、むしろ心に悪い。
でも、いよいよ本当に「家に吉沢亮がいる」と思い込む人間になってしまったらもう今のわたしとは気持ちを共有できない別のわたしに変化してしまうということなので、それは違う。
だからこの考えは却下だな…と思っていた矢先、「ハウルの動く城」を見た。
ハウルは素晴らしい魔法使いで、「家を建てる」と言って魔法陣を書いて何かを念じると、途端にぼろぼろだった壁や床は新しくなり、ソファやテーブルなどの家具まで出現していた。
(これはどういう原理なのだろう…)と思ったけど、きっとハウルはここまでの魔法使いになるためにとてつもないイマジネーションの鍛練をしてきたのだろうと理解した。
ハウルが出現させたソファやテーブルは、たとえ魔力が強かったとしても、ぼんやりとしたイメージで作れるようなものではないように見えた。
「30歳まで童貞だと魔法使いになれる」という説を聞くけど、ハウルのマニュアルも見ずに魔法陣を書く手つきを見て、ただぼんやりとしていてなれるようなものではないと感じた(そういうのも含めて、ハウルは優秀な魔法使いみたいなのかもしれませんが)。
ハウルは本当にかっこいいな…)と思って、現実にもハウルみたいな人はいるんじゃないだろうかと考えた時に、いいライブを観た時、本人の演奏や歌がつくる世界に包まれたような気持ちになって感動したことを思い出した。
そういう人は魔法使いみたいだな…と思って、わたしのぐらついた心では家に吉沢亮がいるとは到底思い込めないし、そんなしょうもない妄想によりかかる精神は捨てようと思った。
その先にあるのが現実の吉沢亮との華々しい生活かもしれない…