悲しみのどん底

「悲しみのどん底」って言うけど、本当に底があればどんなに楽だろうと思う。
わたしが悲しかったり辛かったりする時は、悲しみや辛さが浮遊して行き止まりもなく漂い続けるという感じ。
果てがないので無限に広がる。
そして悲しみの原因の焦点はぼける。
森達也さんという監督がオウム真理教の内部を撮影した「A」「A2」というドキュメンタリーを見た。
意図的にそう見せているのかもしれないけど信者の人達はすごく普通の人で、外の人(マスコミの人)と話す時は「オウム真理教の教え(を信じること)について理解する気なんてないだろうし、話してもきっとわからないと思うけど、聞かれるなら話しますよ」という感じの冷静な態度だった。
映画に出てくるような人はおかしげでない人を選んでいるのかもしれないけど、みんないい人そうだった。
時々挿入される修行(何かをつぶやきながらヨガをする、ヘッドギアをはめて頭に電流を流す)の様子にはギョッとしてしまったけど、まあ、人に見せるものでもないし…
宗教に入信したからそこまでの人格がリセットされるわけではないし、嫌な感じの人は嫌な感じの信者になって、感じのいい人は感じのいい信者になるんだなと思った。
別に誰がどんな宗教を信じていてもいいけど、好きな人や大事な人がそれによって人生の可能性を失うのは悲しい。
その宗教の教えが世界を狭めることにより幸福になれるとか、一般的に人生の可能性として許されている自由みたいなものを悪としているなら仕方ないのかもしれないけど。
と考えると、人を窮屈にする宗教なんてよくないな…と感じるけど、無宗教、信じるものなしで生きている人(わたし)も辛…と思う。
何を信じればいいかとか、人生とはどんなものかの大前提が宗教によって提示されていればそれはそれで楽そう。
楽そうというのは、「楽そうでいいよね」じゃなくて、安堵できそうという意味で。
最初に書いた悲しみとかも、自分でこの感情はどうしたらいいんだろう…って考えていたらキリがないけど、宗教の教えが答えになったりするのかな。
日本人は自己肯定感が低いというニュースを見たけど、無宗教の人が多いことも関係するのかなと考えたりした。
常に一人で考えていかなきゃいけないの大変。
むなしさに襲われた時どうすれば…となるけど、そのむなしさを感じるのも悪くないなと思う時もあれば、無駄な感情だなと思ったりもする。
日本人は宗教の感覚がないから代わりにでんぱ組.incを応援したりしてるのかな。
でんぱ組も神のつもりではやってないだろうし、ファンも信者のつもりではないだろう。
インタビューでしかほぼ生態を知れない対象は日本人にとって神みたいな感じなのかな。
そもそも宗教との関係が日本と他の国では全然違う。
ということなどを物知りでGacktファンの友達と話した。
不安とか悲しみとかは嫌ですね。